福島のJヴィレッジって?全面閉鎖になってたって本当?
目次
はじめに
福島県に住む方やサッカーなどのスポーツが好きな方であれば、「Jヴィレッジ」という施設の名前を聞いたことがあるのではないでしょうか。このJヴィレッジとは1997年に開設されたスポーツ施設なのですが、日本サッカー初のナショナルトレーニングセンターとして開設当初は話題になりました。そんなJヴィレッジは東日本大震災の余波で一時は全面閉鎖にまでなりましたが、今では新生Jヴィレッジとして地域活性化にいっそう力を注いでいます。
この記事では国内屈指のスポーツ施設であるJヴィレッジについて、設立された経緯や復興後の動向について解説します。
Jヴィレッジの設立された経緯とは
この章ではまずJヴィレッジがなぜ設立されたのか、その経緯について開設していきます。
日本のサッカーは1993年にプロ化しており、当時は日本代表チームを育成する十分な環境が整っていませんでした。そして十分な育成が行き届いていないチームでドーハのアルアリ・スタジアムにおけるイラク代表との試合に臨んだ1993年10月28日、いわゆる「ドーハの悲劇」と呼ばれる出来事が起こります。このドーハの悲劇について要約すると、ワールドカップ・アジア地区最終予選に際して、イラク勢のロスタイムでの同点ゴールにより日本代表があと一歩のところで予選敗退になった出来事のことを指します。
ドーハの悲劇により日本がいかにプロサッカー選手の育成面で遅れているかを痛感し、また2002年にはFIFAワールドカップ招致に向けて動き出していたこともあり、新たなサッカートレーニングのできる施設への需要が高まっていました。
その一方で福島県内に原子力発電所などを有していた東京電力が、福島県への感謝の意を表明する形で地域振興施設の建設および寄贈を行うという提案をしたのが、ドーハの悲劇の翌年である1994年のことでした。ちょうどその頃サッカー人気が高まっていたことで、サッカーのトレーニング施設を建てることが検討され、日本サッカー協会が協力する形でサッカーのためのナショナルトレーニングセンターを設立することが合意されることにもなりました。
また1994年9月26日に福島県議会で、「当社の発電所がある自治体への建設を希望している」というコメントが発表されました。ナショナルトレーニングセンターを建設することで合意があったものの、未だ建設地が未定だったこともありその建設予定地として福島県が候補になりました。
そして福島県内のどこが良いか検討された結果、広野火力発電所に隣接する広野町町有地にナショナルトレーニングセンターを建設することに決めます。建設工事は1995年から始まりその2年後に竣工され、完成した施設は約束通り福島県に寄贈されました。この施設についてはその後、県の外郭団体である県電源地域振興財団が所有することになります。
施設の運営団体として福島県や日本サッカー協会、東京電力から各10%の出資を集めて、株式会社日本フットボールヴィレッジを設立します。そうして同会社が施設を借り受ける形でJヴィレッジの運営および管理を任されることになりました。
このJヴィレッジの建設については当初から批判が出ており、政経東北は建設工事に充てられた約130億円を、「教育奨学財団をつくり、浜通り一帯の高校生、大学生の奨学資金に充てるという提案なら、県民に率直に受け入れられたのではあるまいか」と過去に指摘しています。また同じく政経東北の1997年4月号では、「地域振興に努めてリードすべき県が何もせず、東京電力がJビレッジの青写真を提示し、建設するという怪」という文言でもって福島県の姿勢そのものを批判する場面もありました。
全面閉鎖を乗り越え、より魅力的に
上記で紹介したように一時期は批判こそ集中したものの、その後は日本初のナショナルトレーニングセンターとして当初予定されていた機能を発揮します。またサッカー以外の別スポーツに関しても合宿所に利用されることもあり、多くのスポーツに貢献してきたとも言える活況ぶりでした。
東日本大震災ののちは原発事故の対応が概ね終わるまで、Jヴィレッジの営業は休止され施設は全面閉鎖になったこともありました。営業が一部再開されるまでに7年という長い時間を費やしたものの、去年の7月28日にはJヴィレッジ再始動記念としてオープニングイベントも開催されました。
一度は全面閉鎖されたJヴィレッジですが、今では福島復興のシンボルとしてさまざまなイベントを精力的に行っています。
今年の4月から新生Jヴィレッジとして再始動していますが、その時点でJFAはJヴィレッジを再び利用することを決めていました。また日本オリンピック委員会や日本体育協会、JFAといった団体は、日本国政府に対してJヴィレッジも含めた被災地のスポーツ施設を元に戻すようにという要求も行なっています。この復興費用についてはFIFAも資金提供する旨をすでに発表しています。
2013年7月時点で原発事故対応拠点が第一原発内に移動されたことをきっかけに、JFAは「Jヴィレッジ復興サポートプロジェクト」を新たに立ち上げます。
そして2020年に東京オリンピックが開催されることが正式に決定したことで、Jヴィレッジをトレーニング施設として再利用できるように復旧作業を進める運びとなります。そうした復旧作業の甲斐もあり2018年夏には一部営業再開、さらに今年4月には全面営業再開を果たせるまでになりました。
この復旧作業に際して「震災前よりもさらに魅力的なトレーニングセンター」をコンセプトとして掲げており、結果的に国内初の人工芝1面サイズ全天候型練習場が新設されたのです。
この全天候型練習場の総工費は約22億円かかり、日本スポーツ振興センターから約15億円のスポーツ振興くじ(toto)助成金を受け取り、不足する7億円については寄付金からまかなわれたとされています。この全天候型練習場が新生Jヴィレッジ最大の目玉施設であることは言うまでもありません。
Jヴィレッジのその後の利用とは
今年の4月20日に営業が全面再開されたことを受け、プロサッカー選手が出場する試合がJヴィレッジにて開催されました。
なでしこリーグ
TEPCOマリーゼ廃部後、Jヴィレッジの営業全面再開日である2019年4月20日に、2019年プレナス1部の試合を行なっています。この時はジェフユナイテッド千葉市原・千葉レディースとマイナビベガルタ仙台レディースの試合となりました。
日本プロサッカーリーグ
Jヴィレッジが4月20日に全面再開されてから、8月10日に明治安田生命J3リーグの試合が開催されました。この時は福島ユナイテッドFCと藤枝MYFCの試合となりました。
Jヴィレッジほど広々としたスポーツ施設もあまりないので、今後も多くのプロスポーツ競技の試合が随時行われていくことでしょう。
Jヴィレッジの復興マラソンとは
2020年の東京オリンピックでは例年のように聖火マラソンが開催されますが、その聖火マラソンの出発点という大役をJヴィレッジが担うことが決定しています。その決定がきっかけとなり、これまで広野町と楢葉町で行われてきた大会が今年から統合されることになりました。地域に根差した記念すべき「復興マラソン」の第一回が、12月15日に「Jヴィレッジハーフマラソン」として開催されます。
今回のマラソン大会では①ハーフマラソン、②1.2キロ、③3キロ、④5キロ、⑤リレーの5種目が予定されており、各クラス1位から6位の方については表彰式が実施される予定です。ランナーの登録締切日は10月6日なので、興味のある方は早めに登録を済ませておきましょう。
Jヴィレッジホテルとは
Jヴィレッジはもともとプロサッカー選手のトレーニングセンターとして開設されましたが、実は一般市民の方でも利用することができます。またJヴィレッジはトレーニング施設だけでなくホテルも併設しており、ビジネスや観光で福島を訪れた方でも気軽に利用することができます。
例えばJヴィレッジホテルでは素泊まりのようなシンプルプランもあれば、豪華な客室で一夜を過ごせるスイートプランまで幅広く提供しています。中にはオーシャンビューの展望風呂がついた部屋もありますし、Jヴィレッジ内にあるレストラン「アルパインローズ」では毎週ランチメニューが変わります。
もちろんJヴィレッジはスポーツ施設であるため、Jヴィレッジホテルを利用することでフィットネスジムやプールを利用することもできます。またリゾートテイストに生まれ変わった新生Jヴィレッジでは同施設内で結婚式を挙げることもでき、先日には新生Jヴィレッジ初となる結婚式が実際に挙げられています。
スポーツを通じて地域活性化、ひいては地域復興を目指す施設としてJヴィレッジがあるのです。福島県に訪れた際には、震災後の復興支援も兼ねてJヴィレッジを利用してみるといいでしょう。
まとめ
全面閉鎖になった期間もようやく終わりを迎えた新生Jヴィレッジは、地域活性化のためスポーツに関するイベントを今後とも随時開催していきます。元々はサッカーのナショナルトレーニングセンターとして設立されましたが、今では地域住民の方やプロスポーツの世界で重宝される存在になりました。その事実からもJヴィレッジがどれだけ地域振興に貢献しているかがうかがえます。
昨今言われている健康寿命を延ばすためには、体を動かし適度に筋肉をつけることも必要不可欠です。日頃から体を動かす習慣がないという方もJヴィレッジを利用して、スポーツやフィットネスに挑戦しながら気持ちいい汗を流してみてはいかがでしょうか。